0.5歳’s diary

結婚、仕事、人生よくわからなくなったので、心の整理整頓日記を始めてみる。

賢者

1人は好きだが独りは怖い。

独りにちゃんと成れることは大人として生きたい人には大事なことと思う。
慣れることはできるんですけどね。
経済的自立はできても、精神的自立の難しいところ。

例えば、普段律してる部分、自分が「やっちゃいかん」と思ってるようなこと。感情。出てきたら、それ全部認めること。
すっごく難しくはないけど、簡単ではないと思うのです。

認めたくない自分が出てくるし、思考には気をつけなさいってマザーテレサも言ってたし。
でも、感じてしまったものって仕方なくて。認めないと自分を無視することになる。
段々それに慣れてきてしまって、自分のマイナス面には鈍くなっちゃうんだよ。

自分も人もいいとこばっかり見るのはいいことだけど、悪いとこを見ないってのは違うだろうと。

話飛躍するかもだけど、DV男にもいいところあるから、とか。昔は優しかったしきっとその頃に戻ってくれる、とか。

諦めろ。
自分の五感が訴えるものすべて認めるしか、ない。
無視すれば状況は悪くなる一方。

結局、自分の心が悲鳴上げてること、無視しないとその苦しい瞬間がんばれないんですよね。
好きだからっていう理由でさ。全部をまるっとさ。

私は、あの時のあの選択が!て後悔する代わりに、いつももっと早く認めてればなって思うことがあります。

だって気づいてたんだもん。自分の本心に。なのに、自分の気持ちなんてどうにでもコントロールできるって思っちゃって。

それをやめるのがここ半年の目標。

そしてまずまず達成。

んで今賢者。笑

色々乗り越えたとは思うけど、賢者ってかっこよすぎて女としての自信が逆になくなる。笑

まぁ、頑張ったし、めでたしめでたし。

結局いつも振り返りブログになってまう。

唐突に

再開。

 

去年のもう何月が正しいのかわからないけど、失恋。

別れ際に人柄が出るとはよく言ったもので。

私が見ていた彼は、私が期待する彼で素の彼ではなくて、もはや素の彼は好きにはなれなかった。

そんな私の気持ちはプレッシャーとなって嫌な空気で彼に伝わってたんだと思う。

悪かったなーと思います。いい人ぶってるつもりはないけど、前置き。

だって、別れ話すらしてもらえなかった。

恨んだよ、少しだけ。

悲しい理由は2つあってだな。

 

◆諦め時がわかんない

◆別れ話すらするに値しないのか、私という者は

 

そりゃもうしんどくて、人生で一番仕事適当にやった数か月だったわ。←

 

無視って。一番堪えるよなぁ。

私だってするけどさ。恋愛がらみなら尚更、興味ない人には粗塩対応ですがな。

でもさ。

彼女だったんですよ。ちゃんと1年半一緒にいたんですよ。それって私の妄想だったのかと疑うくらい見事な無視っぷり。

 

彼の素は愛せなかったけど、1年半かけて見た彼のその素の部分はかなりだらしなく、

時間の使い方 お金の使い方 言葉の使い方

この3つがびみょーーーーーーーー過ぎて。

片鱗はあったし、最後の別れだけがだめだったんじゃなくて、自分のこの目でそんな人であることを見てきていたんです。

 

でも無条件な味方というものは人生で経験がなかったもので、なってみたかった。

それが一時の彼には心地よく、薬となり、その後の一時には毒となり。

「私が彼をダメにした」なんて上から目線も甚だしい。

 

「味方」はいつしかゆがんだ愛情となるんです。

 

本当に伝えたいこと、本当にやめていただきたいこと。本当に聞いてもらいたいことがあったのに、その全部、言うのをやめた。

様子を窺っている内に根腐れ

 

無視が彼の本心で、その行動そのものが別れの言葉なんだと受け入れるまで、生きた心地がしなかった。

生きていく理由が彼以外にない自分が情けなかったし、他に大事なものだってあるのに、都合よくしまい込んでたことに嫌気もさすし、占いにはまっちゃうし、そんな自分が会社で出ないように愛想振りまいていい人演じて、29歳で何やってんだろうって毎日毎日思いながらなんとか手首切らずに生き永らえる。

できることなら、誰かに頼りたかったし、その誰かって紛れもなく彼だったんだけど。

思えばその1年半、自分の本当に弱い部分や受け入れてほしい部分に限って彼には言えなかった。

嫌われたくない!とかそんなかわいい感情じゃなくて、

彼には受け入れられないだろう

と決めつけていたから。どこかで、彼の未熟さを馬鹿にしていたから。

 

「フラレタ」って形が欲しかった。傷ついていい理由が欲しかったのです。

もしかしてもしかしてを繰り返して、中々現実を直視できなくて、その全ては自分の心の裁量に任されてるだなんてこんな残酷なこと、私は知りません。

 

会社クビになる時さえ言ってもらえるやん。明日から来なくていい!とか。

 

どうしてこうなった???

 

未だに思う。

半年経つのに、毎日一回は思い出す。これでもましになった方だけど。

思い出すことすらできなかったもん。忘れる時間が1分もなかったから。

 

死にたかったな。あの時は。でも、もしかしたら…って思うと、明日には連絡がくるかもしれないって思うと、情けない。

生きよう、と思った。

 

それでも何とか転職して、無理やり趣味作って、男の人と会って。時間を追いかけて追いかけて。少しだけ痛みに慣れた頃、誕生日がきて。

期待してしまった。また。

連絡できなくてごめん。お誕生日おめでとうって連絡くるんじゃないかなって。

こなかったよね。うん。

散々無視されて傷ついたのに、またも自ら傷つきに行くっていう奇行。

誰か名前つけてくれ。

 

嫌な男だった。ダメな男だった。別れの言葉一つ言ってもらえなかった。

いくら心の中で罵っても、でも、そんなのを選んだのは自分なんだって事実が自分から気力を奪う。

どう落とし前をつけようかって話ですよ。自分に。

 

今、私の周りの環境は大きく変わってて、それは紛れもなく自分で掴み取ったものであり、生きるために環境を必死に変えてきた。つもりである。

 

その姿を見てた人はいないし、お前変わったなって頭撫でてくれる人もいないけど。

誰にも知られたくないっていう思いもあって。黒歴史だから。(笑)

猛烈に寂しい瞬間があるし、今週末も何も予定ないって思うと暗ーくなるし。

でも、今はちゃんと孤独にならなきゃって思うようになったのです。

1人で立つこともできないのに、誰かを受け入れたり支えたりなんてできない。

支え合いと傷の舐め合いを勘違いしてた自分には戻りたくないのです。

そしてそんな相手ももう要らない。

 

何も手応えのない、こちらの思いは何も届かない、最後には存在も事実もなかったかのようにされてしまった恋からも、何か得たものはある。

それはそういう人とはもう関わらないって教訓かもしれないし、自分の愛に対する軌道修正かもしれないし、そもそも男の人との関係がしんどいって本心かもしれないし。

根本の人間関係への過度な期待かもしれなくて。そんな不確かな持論を何度も何度も自分に持ち掛けていく毎日です。

 

きっとまだまだ終われない。

やっと夜眠れるようになったくらい。朝起きれるようになったくらい。他人は他人でしかないという当たり前の事実と、承認欲求の怖さ。

 

丸ごと全部忘れられたらいいなって思う。

でも、できないからね。

だから頑張ってる。もうあんな思いはしたくない。実体のないものへ縋る無意味なこと。自分1人だけでその場をぐるぐる回ってる虚しさとか、もうーーー嫌。

 

どんな自分も受け入れて、どんな境遇でも被害者にならないで、自分を律することができる自分になれたら。

その時にこの苦しみから解放されるのかな。そう思うしかないんだけど。

 

一緒に見つけたお店とか、そこで出会った人とか、彼のおかげで知り合えた人とか。

きっともう会えないし、行けないし、どうしようもない。

意地を張るとかじゃないんですよ。ざわつかせるのが嫌。(笑)好奇心でえぐられるのも嫌だけど、たぶんそういう人達でもないし、だから尚更。

彼は行ってるみたいだけど。(笑)

共通の知り合いがいると、嫌でも報告されるのです。ありがとよ!!!

 

どんな選択を選んでもその人の自由。

選択肢を奪うことはできない。

何で善悪をつけるのかで恋愛っていうものは一気にややこしくなる。めんどくさい。

 

まとまらないしオチもない。

収集がつく恋って存在するんか。

 

明日からまた月曜日。

明日も一回思い出すことでしょう。もしかしたら2回かもしれないし。3回かも。

それでも、彼の人生に二度と関わらないと決めて、少し強情くらいでないと保っていられないのです。

まだまだ終わらないことにもう一度覚悟して、生きるしかないんですよね。

 

 

 

 

日にち薬

そんなこんなどんなこんな。

 

雨降って地固まる。

 

大事にしたいご縁。断ち切りたいご縁。

自分の選択に自信が持てない時、後悔しそうだと感じる時。

絶対に焦ってなるものか。

 

選択に自信が持てないのは自分を見失っているから。

どこか自分をないがしろにしてしまっている時である。

 

そんな時に出す結論は大抵苦し紛れ。

一時的にスッキリするからややこいけど、時間が経つにつれもっと巨大な苦しみが待っていること間違いなし。

 

迷ったら、まずは視点を見極めて。軸と主語を自分に戻すこと。

 

「私が決める」

 

焦って得るものなんて、焦らなきゃよかったって後悔だけ。

 

選択は無数にあるのだから、大事なご縁ほど、何度も何度も自分に聞く。

 

それが出来る時って、相手が待っていてくれたり、断ち切ることをせずにいてくれてるという最高にありがたい時期だということを忘れてはならぬ。

感謝の気持ちを持った瞬間、心に数センチでも余裕が生まれる。

ここまで掘り下げてからやっと、悩むに値する心の状態なんだなと。

 

感情を押し殺すことではなく。紛らわすでもなく。

「自分の精一杯」を最大限に広げること。

そうすれば早まらない。

そうすれば納得できる。

そうすれば言動に一貫性が生まれて、気付くと自信もついてきてる。

 

そこに至るまで本当に本当に苦しいけど、他の感情よりも苦しさは自分を焦らすけど、思惑通りになってはいけないのだ。

 

苦しさだけが、陸に上がろうとするエネルギーを湧き起こすのだと思う。

 

悩んで悲しい、悩んで辛い、は優しさを生む。

 

怒りは悔し涙を誘うけど、乾く頃には許す心を生む。何よりも、自分を。

 

苦しさだけなのだ。自分の背中を前にどーんと押してくるのは。

あまりに強すぎて、つんのめってすっころぶことも多いけど、息のしやすい場所へ行こうとじたばたするのはこの感情。

 

実際、渦中はそんな冷静に感情を分析なんてできないけど!

 

このままじゃ嫌だって思えた瞬間もう大丈夫。

 

泳げないなりに岸に辿り着こうともがいた先には絶景が見えました。

 

人生は長い。

苦しい思いをすればするほど長く感じるんだと思う。

なりたい自分になる。には何度も脱皮が必要なんだと思う。

 

どう思われたいか、どう見られたいか。

一番最初に出てきてしまうなら今すぐやめること。

 

どう在りたいか。

 

その視点にならない限り、苦しみからは脱せない。

 

 

 

 

 

悪癖

夜更かししてしまうことより、

タバコを吸っていることより、

考え過ぎることより、

 

ネット依存。

悩むとすぐにググってしまう。

この時代に生まれた宿命とも呼べるが。

時代のせいとも思っていたが。

 

そこに私の答えはない。

 

いつだって、そこに自分の求める答えはない。

 

そんなの当たり前。

 

だということに、中々気づけない。

 

あーー、またやってるな、私。

 

そう思った今日。

大きな進歩と自画自賛

 

だって、私じゃないんだもん。

他人の言葉で、他人の経験。

彼の気持ちは彼にしか分からないのに。

何やってたんだか、私は。

いい年して。(笑)

 

悪癖を断つ。

 

それしかない。

 

悩む私を更に悩ますだけの、悪い癖。

 

私に必要だったものはこれ。

正に、今の私には不要である。

 

また一歩、成長できた。

そう思おう。

自分を誉めてあげよう。

 

感謝を伝えるべき相手。

 

恋人だったり友人だったり親だったり会ったことないけど、おじいちゃんおばあちゃんだったり。

 

たくさんいるけど、自分自身も大切にしなきゃいけない。

卑下したり、自己嫌悪したり、そんな癖もあるけど、

しょうがない。

それも私なんだから。

一生懸命生きてきた証なんだ。

 

頑張ってくれて、ありがとう、自分。

 

落ち込んだり、立ち直ったり、また落ち込んだり、なんとかまた頑張ったり。

 

忙しい。

生きるって、忙しい。

 

幸せだっって、無理に思い込まなくていい。

ちゃんと自分は知ってる。

 

世の中に絶対なんてないって聞きますが、

今生きていることは当たり前じゃない。

それは絶対。

 

大好きだからだ。

周りの人のことが大好きだから、悩む。

愛されてきたから、悩む。

何かしてあげたいって思ってるから、悩む。

 

生きることは悩むこと。

でも、結論は出して行かなきゃいけない。

それは選択し続けるということ。

幸せを紡ぐためにしなければいけないこと。

そして、したいこと。

私が幸せでいることが、親への恩返しであって、最大の親孝行。

 

親にはどうしても、素直に言えない。

そんな自分がじれったくて、嫌悪して、親に当たってしまって。

 

いつまでやるの?って感じ。

自立は親元にいてもいなくてもできること。

 

ハタチを過ぎたら親のせいにするな。

自分の責任。

 

自分が決めたこと。

諦めが早い私が、今すごい必死になってる。

 

走って止まって走って止まって。

 

この道が合ってるかなんて、今は分からない。

そんなの当たり前。

 

でも、合ってたって結論付けるのは紛れもなく自分。

 

自分をちゃんとコントロールできる、

そんな大人になりたい。

 

自分を愛せる人になりたい。

 

今はまだちぐはぐだけど、それは当たり前。

 

だって初めてだもん。

 

今成長しようともがいてる最中。

 

これはきっと、努力って呼んでいいもので、

近い将来、何らかの形で報われるんだ。

 

私は信じたい。

自分を信じて、道を切り拓きたい。

 

何かのためでも誰かのためでもないんや。

 

自分の笑顔のため。

 

狭い道を行くには息を潜めなきゃいけないように、

そこを通り過ぎるには疲れることもあるように、

切り拓いた先に素晴らしい景色が見えると

いい加減信じなさいって自分に思う。

 

私の考え方次第で何でも楽しくできる。

そんな女に育ててもらった。

生かしてもらったんだから。

 

生き抜く。

貫く。

極める。

 

自分を貫く。

愛することを極める。

 

でも、頑固にはなりたくない。

柔らかいおいしそうな女でいたい。

 

悪癖を断って、ジューシーな女に。

なる。

 

と決意する午前4時。(笑)

 

こんな人生悪くないと思う。

自分に花丸を。

 

知恵熱

眠たい。

 

でも寝れない。

 

つい一週間前まで、ネガティブな事ばかりを考えていた私の脳が、

やっっとチャンネル切り替わったようで。

 

最近は、ポジティブな妄想が過ぎてにやにやする事ばかり考えては、ワクワクし過ぎて眠れない。

 

遠足の前日状態。

 

今年に入ってからずっと、うまくいかなかった部分だったので

霧が晴れたようで晴れ晴れとした気分です。

 

時間かかったけど、ごまかして1年経つより、じっくり下半期を味わい尽くせたかな。

 

悪い事ばっかり考えて、悪い事ばっかり起きてたけど。

こうしたいって願いが出てきたら、話す声のトーンとかフットワークが軽くなるとか

ちゃんと楽しいことを思い付く感覚が戻ってきた。

 

本来の自分なんて大それたことではないけど。(大した人間ではないので)

誰かに頼ろうとしてた人生じゃなくて、自分の人生だって思えるここ最近。

自分で創ってくしかない未来なんだって感覚。

大変で重くて怖くて。

生活が変わったわけじゃないけど、忙しくなってきました。

 

自分がやってきたこと、無駄じゃなかったって1年後しみじみ思ってたいから。

 

1年後の今頃、こうなってたいなって思うから、動ける。

 

間違えたから、歌手なんて目指したから、こうなってしまった。

就職が遅くなったり、自活が遅くなったりしたのは、過去の自分の選択が間違ってたから。

そんな風に思うこと自体が間違ってた。

 

劣等感や自己否定。

散々、散々、やってきてもうお腹いっぱい。

 

よりおいしいものを食べたい。

せっかく外食するんだからって思うのと同じで、

なんで人生をそんな風に考えられなかったのかしら?

 

せっかく生きてるんだから、楽しいことを増やしたい。

それには自分を許すことが最短で最高の方法。

 

よくやった。

よくやってきたよ、私も。

人と違う道を行った、なんて立派なものではないですが、これでいい。

いつか自分の子供に話したら、きっと面白がってくれそうなネタはいっぱいできたから。(笑)

 

これが自分の味なんだって思おう。

雑味ばっかりだけど。

 

誰かの真似をしようとするから迷う。

自分で決めることなのにね。

直感で、自分の感性で決めてきたこれまでを否定することはもうおしまい。

 

自分っぽい考えと選択を続けて、

許すこと・忘れること・愛すること

を自分っぽく。

 

らしく、より、っぽいって方がなんだかしっくり。

 

自分っぽく、しっくりくる道を。

生意気なことを謙虚な姿勢で貫きます。

 

謙虚で生意気

記録として。

 

誰かに言いたくて始めたブログではない。

吐き出して自分を客観的に見るために書いていく。

 

欲張りだから多くの幸せを願ってしまうし、

欲張りだからいろんなことや人に期待してしまうし、

欲張りな分だけ落胆も大きく激しい。

 

特に、人に対して期待や執着をしてしまうとき、地に足が着いてない。

 

大人になるにつれて、思い通りにいかないことが増えるのは

この欲深さと期待なのではないだろうかと考察。

 

でも、それは幸せになりたいから。

少しでも楽しい人生を生きたいと願うから。

そんな気持ちを純粋と呼ばずに、誰が誰を責められようか。

 

大体の「幸せの形」はそこかしこにあって、その中に身を置けばなんとなく

人生勝ち組な気がしてくる。

幸せの形なんて1億人いたら1億通りあるはずなのに。

人間が叶えてきた・叶えられる幸せの形はどれもよく似てるけど。

だから人間社会が成り立ってるわけだけど。

 

ただそのどれもが当たり前じゃないってことを私達は忘れがち。

だから雑に扱ってしまうし、後回しにするし、埃かぶせてしまうもの。

 

欲がある限り、人間でいる限り、生きている限り。

きっとあとちょっとでいいはずなのに。

子供のときみたいに、いくつまで・いくらまでって決められてないから、

大人の顔した子供はあれもこれも欲しがるし、もう使わない壊れた物ですら捨てられない。

どんどんどんどん増えてくんだけど、結局どれも大切にできない。

ことが多すぎる。

 

「あとちょっと」って難しいです。

側に居られるだけで幸せだと思ってたのに。

笑ってくれるだけで幸せを感じられていたのに。

好きって言って欲しくなる。

一番にして欲しくなる。

自分にもっと時間を割いて欲しくなる。

 

繰り返し繰り返し。

人間はなんて欲が深いのか。

 

女はどうして何かに執着し過ぎるのか。

人間に意味なんてないんじゃないか。

なんて思ったり思わなかったり。

 

自分に振り回される人。

それが分かってなくて他人にも振り回される人。

自分を見失い続けて年を重ねる人。

 

嫌だ。

 

 

 

謙虚って言葉、謙虚な姿勢。

見せかけじゃないハリボテじゃない今はないからうまく形容できないけど。

 

そんな人になったら、見える景色は変わるだろうか。

大好きな人達に信頼される人になれるだろうか。

大好きな人達を信頼できる人になれるだろうか。

 

当たり前じゃないことに当たり前に感謝できる人になれるだろうか。

今までとはかけ離れた人間になることになるが、

私にはできるだろうか。

 

 

 

 

 

幸せな人ではなく、どんな時も幸せを感じられる人に。

あー楽しかったなー。

 

いつもどんな時もその場で感じられる幸せに敏感でいたい。

 

感情って場合によっては邪魔になることもある。

でも、人間らしくいるにはやっぱり感情が大切と切に思う。

 

歌手になりたかったんです。

10年前、その夢の実現のために海外にまで飛びました。

7年やって、退きました。

なりたい自分を見出せず、劣等感に苛まれ、「続ける」という才能が自分にはなかった。

 

今思えば、考え過ぎてたなって思うこともあるけど、

辞めたことで失ったものや人も居るけど、

その代わりに新しい世界で得たものや人もいる。

 

同じ視点で見てたら気づけなかった事に気づけるチャンスでもあった。

 

どんな瞬間でも、大事な人って現れるってこと。

その有難みを心から感じられること。

 

10年経って、無駄じゃなかったって思えてる今の自分に満足してます。

 

辞めてから丸3年が経って。

歌手になりたい!って思った日から10年経って。

自分にはもうやりたいことなんて見つからないって閉じてた心。

パッカーンしました。

 

なりたいものが見つかりました。

 

今だからできる、海外にも行ったからできる。

そんな夢を見つけることが叶いました。

 

もう突っ走るしかありません。

自分アップデート。

 

乗り越えた先に、理想の自分になれたときに、

私には傍にいて欲しい人がいる。

私の人生に必要な人。

そんな風に思えることがもう幸せ。

理想の自分の一部です。

相手にもそう思ってもらえるような人間に、

周りにプラスのエネルギーを与えられる人間に、

少しずつなっていきたい。

 

ちょっともっと頑張ります。